野球をやっていたり、見たりしていると感じる試合の「流れ」。
野球の中継でも、解説者が「今、ここで点が入れば流れが来るんですが・・・」とか「今ちょっと流れが悪いですね」など、「流れ」という言葉を使うところをよく聞きます。
今回は、野球の流れとは何か。この言葉を定義付けていきます。
野球における「試合の流れ」とは何か?
では「野球の流れ」とは何か。結論を最初に言うと、「流れ」とはワンプレーにおける勝利期待値(勝利確率)の変化量の増減のことを言います。
この抽象的であいまいな概念を私たちは「流れ」と呼んでいるのです。
具体的な例で見ていきましょう。下の図をみてください。
あるチームがどのくらいその試合に勝てるのかを表した指標が、勝利期待値(勝利確率)です。
勝利期待値はワンプレー、ワンプレーごとに変わっていきます。
そして、上の図ではA選手の前の打席と比べると、A選手がホームランを打った後の方が勝利期待値が増加していることが分かります。
この勝利期待値の増加(または減少)を私たちは無意識に感じ取り、「流れ」と呼んでいるのです。
上の図の例でいえば、「(良い)流れが来ている」というような言い方で私たちは表現しています。
「流れ」がないとは本当か?
野球の流れは、たびたび議論されますが、中には試合の「流れ」を否定する方もおられます。
しかし、「流れ」とはワンプレーにおける勝利期待値(勝利確率)の変化量の増減のことですので、流れがないということは基本的にありません。
「流れ」がない場合とは、対戦相手と勝利確率がゆるがないほど実力差が離れている場合だけです。
私も自分のチームでは歯がたたないほどの対戦相手(または自分のチームの方が実力が上)と試合をしたことは何度もありますが、それでも多少は点差が縮まったり、勝利に近づくことはあります。
「流れ」がない場合とは、漫画『北斗の拳』の「お前はもう死んでいる」のような戦う前に勝ち(負け)が決まっている場合のみだと思います。
「流れ」にのまれる・「流れ」にもっていかれるとは何か
「流れ」という言葉は、「流れにのまれる」、「流れにもっていかれる」という使い方をするときがあるそうです。
これらはどういう意味でしょうか。
個人的には、この場合は「流れ」ではなくて「場の空気に呑まれる」という言葉の方が適切だと思いますが、考えてみましょう。
「流れ」の定義から言えば、勝利期待値が下がっていた状況で、あるプレーによって更に勝利期待値が下がったという風に表現できそうです。
ここで問題になるのが、なぜ勝利期待値が下がったのかということです。
これには様々な原因が考えられます。
選手の実力がそもそも足りなかった、選手のコンディションが悪かった、相手の実力が上だった、などなど。
そして、勝利期待値が下がった(流れが悪くなった)ことで、選手のパフォーマンスが下がったということも、原因のひとつとして挙げられます。
流れが悪いと、普段以上に緊張してしまいますもんね。
とは言え、この「勝利期待値が下がった(流れが悪くなった)ことで、選手のパフォーマンスが下がった」というのは全ての選手に当てはまるわけではありません。
試合の環境や状況が異なっても普段と同じパフォーマンスが出せるようになる方法はあると思います。(私は知りません)
「流れ」を簡易的に表す指標WPA
ここからは話が変わって、「流れ」を数字で表す指標WPAについての話です。
WPAとは、Win Probability Addedの略であり、ワンプレーの前後でどれだけチームの勝利確率が増減したかを表す指標です。
WPAの計算式は、以下の通りです。
ある選手の打席前の勝利期待値 – ある選手の打席後の勝利期待値
このWPAによって、簡易的ではありますがワンプレーにおける勝利期待値の変化量の増減が分かるようになります。
NPBの各試合のワンプレーごとのWPAは、1.02 ESSENCE OF BASEBALLというサイトで見ることができます。(有料です)
もちろん、WPAで「試合の流れ」を全て定量化できているわけではありません。
WPAの計算式に考慮されていない、選手のコンディション、対戦相手や球場の相性、選手の心理状況など定性的な部分も踏まえないと「試合の流れ」を完全に把握することはできません。
ただし、WPA ≒「試合の流れ」であり、WPAで簡易的に試合の流れを把握することはできると思います。
参考文献
MLB公式サイト – Win Probability Added (WPA)(2020年1月27日閲覧)
1.02 ESSENCE OF BASEBALL – WPA(2020年1月27日閲覧)
1.02 ESSENCE OF BASEBALL – 勝利期待値(勝利確率)(2020年1月27日閲覧)
興味深い記事ですが、流れ=「ワンプレーにおける勝利期待値(勝利確率)の変化量の増減」とするのは、おそらく無理がある部分が多いのではないかと思います。
例えば、同じ出塁を許す場面であっても、エラーの場合と単打の場合では、前者において「悪い流れ」と言われることが多いと思います。
しかし、勝利期待値という点からすればどちらも「ランナー1塁」で同じ値になるはずであり、「流れ」を説明できていません。
また、ときどき「ホームランはランナーがいなくなるため、流れが切れる(悪くなる)」なんてことも言われますが、これも勝利期待値という点からすれば、矛盾が生じます。
「うまくいっているときに流れを感じる」という点からすれば、たしかに勝利期待値が「流れ」を反映している部分はあるかもしれませんが、イコールとするのは無理があるのではないでしょうか。
さらに、”「流れ」とはワンプレーにおける勝利期待値(勝利確率)の変化量の増減のことですので、流れがないということは基本的にありません”とありますが、これはそもそも論理的な誤りであるように思われます。
「AはBである」「Bは存在する」「ゆえにAも存在する」という論理ですが、「AはBである」という命題が真でない限り、この論理は成り立ちません。
そして今回の場合、「流れとはワンプレーにおける勝利期待値の…」という定義は、あくまで筆者の仮定に過ぎないので、「流れは存在する」ということの説明にはなっていません。
極端な例ですが、「魔法とは人間の意志である」「人間の意志は存在する」「ゆえに魔法も存在する」という論理が誤っているのと同じです。
とても興味深い記事だったのですが、上の点が気になったので、コメントさせていただきました。
日本の解説者はやたらとこの 流れ を口にするが、いかにも精神論を重んじる日本人的発想で、メジャーでは全くそのような考えはないという。何か見えないものが、試合を誘導もしくは導くという考えは時代錯誤だと思う。また試合で大差で負けているチームが、明日の試合につなげるためにも1点でも取っておこうと考えるが、これもメジャーではないという。今日は今日で気持ちを切り替えればよいということ。